2017 インターナショナルラリー in エストニア
2017 International Rally in Estonia
WIMAではインターナショナルラリーと称するミーティングが年に1回開催され、世界中のメンバーが集まって親睦を深めます。
今年は、エストニアのヤネダという村でインターナショナルラリーが行われました。
会場に到着すると、エストニア支部のメンバーが歓迎してくれました。
初対面の海外メンバーとの初めての会話はとても緊張しましたが、これから各国支部のメンバーと交流できると思うと、とてもわくわくしました。
しばらくすると日本支部のメンバーが続々とやってきました。慣れない海外で顔なじみの日本支部メンバーと会えると、やはりほっとします。
1日目は、この日に到着するメンバーもいるため、フリーデーとなっていました。
この日は雨で、ツーリングに出かけたメンバーもいますが、屋内で開催されたゲームに参加したメンバーも多くいました。
各国支部のメンバー混合でチームを組み、いくつかのゲームに挑戦しました。
日本支部メンバーが入ったチームがゲームで優勝して、サングラスをゲットしました!このサングラスは翌日のタリン散策で、日差しから目を守るために活躍しました。
その夜はウェルカムパーティーが行われ、エストニアの料理やフォークダンスを楽しみました。
ラリー期間中は、毎晩ダンスやバンド演奏が企画されていて、夜遅くまで踊ったりお喋りしたりして過ごすことができました。
2日目は希望者向けにタリンへのガイド付きバスツアーが組まれました。
タリン歴史地区は世界遺産にも指定されており、赤い屋根と白い壁が青い空に映えて、とても美しい街でした。
バスツアーに参加しなかったメンバーは、ロシアとの国境の町ナルヴァへのツーリングを楽しんでいたようです。
このように、ラリー中はいろいろなプログラムが開催されますが参加は自由で、自分の好きなように過ごすことができます。
3日目には、トレジャーハンティングクイズが行われました。
クイズが書かれた用紙が配布され、各自バイクでチェックポイントを巡ってクイズの答えを探し出し、その正解数を競うイベントでした。
各国支部のメンバーと協力してクイズの答えを確かめたりして、打ち解ける良いきっかけとなりました。
夜にはエストニアの一般の女性ライダーを迎えて、様々な国での交通バイク事情についてのセミナーがありました。
日本支部の代表が、日本のバイクを取り巻く環境やライディングウェア、プロテクターについての発表をしました。
他には米国、英国、エストニアのメンバーが発表を行いました。最も驚いたのは、アルコールを少量摂取しても運転して良い国(州)があるということです。また、米国では州ごとに法律が異なり、旅行者にはとても複雑だと感じました。
その後は参加者との交流会が行われ、筆者は同年代の女性ライダー2人と知り合い、お互いの国について、そしてバイクについての話をたくさんしました。
4日目はフリーデーで、ハンドクラフトショップでエストニアのニットを買ったり、近場をツーリングしたりとのんびり過ごしました。
また、BMW の協力により、無料のライディングトレーニングや試乗会も開催されました。
5日目は、このラリーのメインイベントとも言えるであろう、パレードが行われました。
ラクヴェレ城まで、約50kmの道のりを14カ国から集まった196名のメンバーが隊列を組んで走る光景は、壮観でした。
町を通ると住民の方々が手を振って笑顔で歓迎してくれ、とても感動しました。
その夜は、とうとうお別れの時間。フェアウェルパーティーでは、互いに感謝を伝えたり、別れを惜しんだりしていました。
また、今回の素晴らしいラリーを作り上げてくれたエストニア支部のメンバーにも、皆が感謝を伝えました。
筆者は今回インターナショナルラリーへの参加は初めてでしたが、とても楽しくて離れがたい、素敵な時間でした。
行く前は、言語の壁・文化の違いなどから、うまくコミュニケーションがとれるかどうかを心配していました。
しかし、実際に他の支部のメンバーと会ってみると、それらの心配はお互い様で、こちらが笑顔で話しかければ相手も笑顔になり、WIMAの合言葉である「バイクと笑顔は世界共通語」を実感することができました。
また、今回、筆者は参加しなかったのですが、ラリー開催前に、エストニア支部の企画によりエストニア南部のキフヌ島へ行くツアーがありました。
世界無形遺産に登録されているこの島では、オートバイが女性の移動手段として昔から活用されています。
島の男性はほぼ1年中漁に出ていて、島での生活はすべて女性により営まれてきたそうです。
使用されているオートバイは、すべてソ連時代のもので、サイドカーや木箱がついています。この箱には荷物はもちろん、子供達も乗っています。
島内では、例外的にヘルメット着用義務がなく、制限速度も設けられておらず、スピードが速すぎる人がいれば、声を掛けて注意し合うのだとか。
オートバイが生活に溶け込んだ素敵な島だったそうです。