投稿者「wima-japan」のアーカイブ

雷龍の国:ヒマラヤを目指して

The Land of the Thunder Dragon : Heading for Himalayas

シッキムからブータンへのツーリング   レポート: Katrin Hockemeyer

 

旅行会社はそのツアーを「探険旅行的」と説明しましたが、それは決して大げさではありませんでした…。

わたしは、聞いたこともないインドの都市バグドグラにある空港で、同じツアーに参加する人たちと初めて会いました。総勢13人、74歳の埼玉から来た日本人男性1人を除き、全員がドイツ人でした。これまで一度もツアー旅行に参加したことのない私は、このような旅にどんな人がくるのか興味津々でした。ほとんど男の人だろうとか、決して安いツアーでないのでお金のある中高年の人だろうとか、想像していたので、最初は「当たった」と思いました。しかし、驚いたことに私以外にも4人の女性が参加していて、そのうち二人はライダーでした。やったー!1人じゃなかった…。

さらに、とくに女性に嬉しいことには、ツアーガイドは、とても背の高いすごいイケメンのブータン人のテンジンという男性でした。

空港では長居をせずに、すぐに3台のジープに分かれて、ダージリンの南にある山間の小さな町、ミリクに出発しました。2時間ほどの旅でしたが、着いたときにはすでに暗くなっていました。それでも、私たちは、ホテルの前に駐めてあるバイクを見に行きました。

ロイヤルエンフィールド・ブレットは、500ccのクラシック・バイクで、翌日の朝、ミリクの道で試運転したときに、扱いやすいバイクだなと思いました。今回の旅までの私のバイクの経験は、東京近郊の走りやすい道での7,500kmだけだったので、扱いやすそうでよかったと思いました。エンフィールドは右側にシフトペダルがついているものがあり、さらに普通と逆にシフトアップしなければなりません:ローギアに入れるのに上げ、セカンド以降は下げるという具合です。乗りこなせるかわからなかったので、「普通の」シフトペダル車に乗りたいと頼みました。私のバイクはセルモーターが動きませんでしたが、エンジンを喜んでスタートさせてくれるメカニックつきのツアーでは心配ありません。もちろん私は、今ではキックスタートができますけどね(^v^)。

バイクに少し慣れてから、ダージリンに向け出発しました。50kmほどの山道です。私たちはゆっくり走り、道もダージリンに近くなるまでは悪くありませんでした。町まで10kmというあたりから、わたしにはちょっと大変になってきました。道が混んできた上、路面には大きな深い穴がいくつもあり、また、線路を何度も渡らなければならなかったのです。運転に集中するあまり、私は丘からの眺めを楽しむことができませんでした。 .

ダージリンでは、観光する時間があったので、マーケットや有名なトイトレイン(小型の汽車)の駅に行きました。たくさん渡った線路はこの汽車のものだったのです。
もちろん、初めてのおみやげも買いました。本場のダージリン紅茶です。

ダージリンでのハイライトは、タイガーヒルから山々の後ろから昇る日の出を見ることです。そのため、朝4時におきて場所取りに行かなければなりませんでした。残念ながら天気は曇りで、最初は山も見えませんでした。しかしいろいろな国から来た500人もの人々が寒い中、凍えながら朝日を待っている様は、カラフルで楽しめました。
最終的に、日が昇り始めると雲の間に隙間ができ、世界第3の高峰である「カンチェンジュンガ」に光が当たる様子が見えました。早起きした甲斐がありました。

ツーリング2日目は、渋滞で始まりました。さらに悪いことに、再び来た道を、線路をいくつも超えて戻らなければならなかったのです!しかし最悪の事態はその後起きました:50kmほどの急な下り坂です。通常、こういったところには、山の側面に沿って曲がりくねった道をつけますが、ここは違いました。どれぐらい急かというと、10kmほど下っただけで手が痛くなり、ブレーキやクラッチの操作が大変でした。
山は茶畑だらけで、すばらしい緑が青空に映えていました。

私たちは川まで下り、それからしばらく川に沿って走り、橋を渡りました。この橋は、今はインド領となっていますが、かつてのヒマラヤの王国シッキムへの国境でした。

私たちのホテルはとてもよかったです。美しい庭とすばらしいカンチェンジュンガの眺めが楽しめる山のリゾートでしたが、早起きした私たちはとても疲れていたので、早く寝てしまいました。

このホテルは、今朝一番に訪れたペマヤンツェ僧院の近くにありました。この日は、色々な滝やマニ車・タルチョ(祈祷旗)で飾られた神聖な湖などを訪れたりしながら160kmを走破です。

翌日のホテルは、かつてシッキム王国の誕生の地といわれるユクソムにありました。ユクソムはこじんまりした素敵な街で、公園の中にたたずむ白く美しい仏舎利塔や樹齢何百年かを思わせる雄大な巨木がとても印象的でした。

さらに、ホテルの庭からはカンチェンジュンガの美しい山並みを昨日とはまた違った角度から眺めることができました。

翌日は、ほぼ一日中走りっぱなしの予定。でも、この日の目的地までは120kmだけだったため、まだまだ時間はたっぷりあり、朝はゆっくりできました。 ブータンに入って以来、大体朝7時半には出発していたので…。

ところで、この日のホテルへ向かうまでの道ラスト3kmは、私が今まで経験した中で一番運転しにくい道でした。この最強悪路に辿り着くまでにも、道路整備工事をしているところでは砂利道や結構深い砂道だったり、滝の近くでは道(もちろん砂利)にまでかなりの水が流れてきていて、砂利+冠水した道を走るハメになったりしました。

でも、こんな過酷な道を走るのは初めてだったのに…、なんと、一度もバランスを崩すことなく、しかもかなり順調に走ってくることができたのです!そんな自分にビックリかつ感動。そして、最後の最後に満を持して出てきたのが、ラスト3kmの急勾配かつ狭くその上砂利道の180度はあろうかと思われるカーブです。しかししかし、なんとこの道も問題なくやり過ごすことができたのです!今回のメンバーの中では私が一番ヒヨっこライダーだったため、一緒に走っていた人達もこれには感心しきりでした。あぁ、やればできるジャン、私♪…もちろん、冷や汗でTシャツがびしょ濡れだったことはみんなに内緒です(^_-)。

やっとの思いでたどり着いたホテルはとても可愛らしいバンガロー形式のホテルで、近くにはルンテック僧院がありました。家族経営のようで、お母さんがお客や家族のために作っている野菜畑や牛・羊の家畜小屋を案内してくださいました。

翌朝一番にしたことは…、もちろん、ルンテック僧院を見に行くこと。だって、このルンテック僧院はあの有名なラマの本拠地であり、とても大切にされている場所なのですから。色彩が素晴らしく美しかったです。ルンテック僧院を訪れた後、私たちはシッキムから80km程のところにあるカリンポンというところへ向かったのですが、そこがまたひどく埃っぽく雑然としていて独特の雰囲気がぷんぷん漂っておりました。

私たちは、カリンポンからブータン国境を目指すために、さらに少しだけ南下しアッサムの熱帯平原を東に向かって突き抜けて、その後北上してブータンへと向かうルートをとりました。

アッサムでは、地平線に届くほど広がる大農園で女性たちが茶葉を収穫していました。見渡す限り一面の緑は圧巻です。それにしても暑かった…。

個人的意見ですが、今回のツアー日程の中でこの日が一番面白くなかったです。80kmの直線路は大きな穴ぼこだらけでまったく楽しく走ることができませんでした。20cmもの深さの穴があったりもしたんですよ!しかもその穴は近くにならないと見えず,突如として現れるのです。疲労困憊になった上、バイクに乗っていて今まで感じたことのない「怒り」というものがこみ上げてきました。最終的には無事にブータンにたどり着きましたが、ごちゃごちゃした渋滞もあんなに酷い道路もない、とても清潔感がありきちんとした町並みが待っていてくれました。インドからたった300mしか離れていないのにまったくの別世界です。

国境の町プンツォリンからブータン人が最高の聖地とするタクツァン僧院(別名:虎の巣穴)があるパロ渓谷までは100kmほどの道のりでした。タクツァン僧院はいくつかの小さな建物でできているのですが、急峻な岩の壁にはりつくように建てられており、今にも落ちてきそうです。私たちは翌朝タクツァン僧院までの急な山道を登り、そこからの景色を堪能しました。

この日の午後、世界で最も小さいと言われているブータンの首都、ティンプーへ向かいました。そしてそこで国王を発見!国王は大通りにあるお店に一つ残らず入ってショッピングをしていたのですが、国王の行くところ行くところ沢山の見物人がついて回っています。おかげで、ゴ(Kho)という民族衣装を着た警備員達はずっと忙しそうに動いていました。どう考えても、いつも国王が訪れているわけではないと思います。

翌日の行程は、心の準備はしていたものの予想通り非常にハードなものでした。みどころ満載の峠を220kmも攻めることになっていたので、朝7時には出発です。私たちはまず北側にヒマラヤ山脈の壮大な景色を望める場所でバイクをとめました。

次に向かったのは川と川の合流地点に建つプナカ・ゾン。こちらもまた非常に美しい城砦です。
その後、道中で昼食をとったのですが、その時点ですでに夕方目前。まだまだ先は長いのに…。道自体はそう悪くはないものの、私は日が落ちてからバイクを走らせることに少々不安があります。いやおうなしに段々暗く、段々寒くなってきました。本日の最終目的地トンサに近づいた時にはすっかり夜になっていました。ところで、暗くなって気付いたのですが、多くのバイクのヘッドライトが壊れていたのです…。みな無事にホテルまでたどり着くことはできて本当によかった。

トンサ・ゾンはプナカにあったものよりも大きく、より美しいものでした。というのも、トンサ・ゾンは地域行政の中枢機関として使われているだけでなく、僧院としての機能も果たしているからです。赤い袈裟を着た僧侶たちが庭を行き交う光景は、絶好のシャッターチャンスでした!

私たちは、ブムタン地方のジャカルという町まで行きました。翌日お祭りがあるというので、ジャカルには2泊しました。正直に言うと、バイクに乗らない日があるというのもうれしかったのです。

残念だったのは、ブムタンで止まったホテルは、この旅を通じて最悪だったことです。ジャカルでは何度も停電になり、ホテルの部屋には暖房が全くなかったのです。寒くて、ホテルの食事も最悪でした。運悪く、お祭りで町中の予約が一杯だったので、私たちもガイドもどうすることもできませんでした。だから、あまり辛く思わないですむように、夜遅くまでお酒を飲まなくてはならなかったのです(^^)。

もちろん翌朝は二日酔いでしたが、とても素晴らしいお祭りでした。中心的なお寺では、民族衣装を着た踊りが行われており、この辺りの村の人々ほとんど全員が見にきていました。どの家族も最高にオシャレをし、食べ物の屋台や露店がたくさん建ち並んでいました

ブータンを訪れるほとんどの旅行者は、トロンサやブムタンより東には行かないのですが、翌朝私たちが出発すると、さらに田舎になることがわかりました。
まずは、この旅で一番高い山(4,100m)を越えなければなりません。

.昼食のとき、伝統的な衣服を着た小学生の集団に会いました。子どもたちが興味津津だったのは、私たちが持っていたデジタルカメラでした。

道がだんだんと険しくなったその時、事件がおこりました。曲がりくねった下り坂で、アスファルトの上にたくさんの石が転がっているカーブの最中に、フロントブレーキを強くかけ過ぎたのです。後輪が滑り、転んでしまいました。幸運なことにプロテクターを着ていましたし、速度も出ていなかったので、怪我もなくバイクも無事でした。何よりもこの悪路をすでに10日間も走り、うまくやってきていただけに、ショックでした…。

私が最初に転んだわけではなかったことが、唯一のなぐさめでした。ベテランライダーでさえ、何人かは転んでいましたが、グループの誰ひとり怪我することなく、大きな事故もありませんでした。

それでも、だんだん疲れてきました。今日の行程は山道を200km、まだ50km走らなければならず、疲労困憊。カーブや路面状況が悪いので、平均時速は30kmに過ぎません。このツーリング中、3速に入れることなんてほとんどありませんでした。

ブータンでの最後の宿泊地は、ブータンの一番東にあるタシガンという町でした。景色がガラリと代わり、山のどこにも緑の木々は生えていませんでした。温暖で、乾燥した褐色の土地では、草や背の低い木だけが、丘を覆っていました。
そこで一夜を過ごした僧院のゲストハウスは、眺めが素晴らしく、とりわけ夕陽が綺麗でした。

翌日は200km南下して、インドのアッサムとの国境にある活気に溢れた町サムドゥプ・ジョンカまで行きました。到着前の25km(!)も工事中の道を走らなければなりませんでした。基本的には、道らしき道もなく…、砂利だらけ、砂だらけ、水だらけで、信じられないほど埃っぽくて、細くて狭い道を走っていくその先からトラックが次々近づいて来て、砂深い道ですれ違いです。すっかり太陽が傾いて、視界は悪くなり、埃が舞いあがっているので全く前が見えませんでした。サムドゥプ・ジョンカのチェックポイントに辿りつくと、私はただただホッとしました。みんなも同じだったと思います。「探険旅行的」ならではですよね(^_-)

最終日、国境を越えてグワハティ市まで行かなければなりませんでした。ここで大きな障害となったのは、インドの交通渋滞が酷かったことです。私にしてみれば、東京で普通にバイクに乗るほうが、工事中の道を25km走るより全然ラクでした…。

私を含め多くの人が最終日当日にデリーまで飛行機で帰ることにしていたので、きちんと別れを告げる時間があまりなかったのが残念でした。2週間一緒に過ごしてきた人たちと急に別れなければならなかったのは、とても悲しかったです。今回は、私の最初で最高のグループ旅行になりました。今度は、世界で一番高い場所を車(とバイク)で走れる道路があるラダに行くツアーを予約しようかと思っています。

◆インフォメーション

・総走行距離:約1,700 km
・旅行会社:アジアバイクツアー社(Asia Bike Tours:オーストラリア人男性の経営、信頼性高い)
http://www.asiabiketours.com/
・ツアー中はドイツ語と英語によるガイド、しかしオーストラリア人とドイツ人参加者がほとんど
・ブータンツアー料金:2,777ユーロ/ライダー(フライト代金を除く)
・旅行者は一日あたり200USドル(宿泊費と食費を含む)必要なため、ブータンへの旅費は高額
・宿は満足:お湯の利用がほぼ可能

【メンバーより一言】
Katrinはドイツ出身で日本在住6年で,日本語は「まぁまぁ」話すことができるそうです。WIMAとの出会いは2009年9月高速道路のサービスエリアで受け取った日本ラリーのフライヤーがきっかけでした。人生を楽しむ素敵な女性を仲間に迎えることができて嬉しいですね。

2009 WIMAラリー in アメリカ(AMA女性ライダー国際会議と併催)

2009 WIMA Rally in U.S.A. & AMA international conference

今回は、AMA (アメリカ二輪連盟)の国際会議と,インターナショナルラリーが、コロラド州キーストンで併催されました。このような形は、ラリー史上初めての形式でしょう。
個人でAMAに直接申し込む形式だったため、アメリカ支部からの情報が少なく、行くまで全容が掴めませんでした。メインスポンサーはハーレーでしたから、私は、正直言えば、会議とは名ばかりで、ハーレーミーティングのような、お祭り的なイベントではないかと思っていたのです。コロラドは、ノーヘルが認められている州ですし、軽装&ノーヘルの日本でイメージする”アメリカン”ライダーが一杯集まる光景を想像していました。

ところが、キーストンに到着し、受付に行くと、そこは静かな本物の国際会議場!
参加者は、全米から集まった、各クラブのリーダー的立場の人が多く、革ジャケットやプロテクタージャケットを着て、ノーヘルなど1人も居ません。みんな、受付を済ませ、揭示板のセミナーのスケジュールを熱心に調べています。
ここで、私はやっと『こ、これは..もしかして本物の国際会議では??』と気付いたのでした。遅すぎです。

女性とバイクをテーマにしたセミナーは朝8:30から各会場で開催され、どこもほぼ満席。アメリカ支部も独自のセミナーを持ったので受講しました。
小分科会に分かれて学ぶ形は、まるで学会です。もちろん講師は女性!質疑応答も活発で、参加者の意識の高さに压倒されっぱなしです。部分的にしか英語を聞き取れない私でも、参加者のエネルギーは十分に受ける事ができる有益なセミナーでした。
セミナーは時間を変えて繰り返されているので、自分で調整して受講すれば自由時間ができ、大試乗会やツーリングも楽しむことも出来ました。そして夜はパーティーです。なんて贅沢でバランスの取れた時間なのでしょう。
美しいロッキーの懐に抱かれたキーストンでの5日間は、あっと言う間に過ぎました。

ただ集まって交流するだけに終わらず、互いに進歩を目指す···これは、WIMAにも共通する目的です。
今回の会議は·女性同士で意識を高め合い、自らの手でバイクの歴史と文化を作り上げて行こうという意欲に満ちた試みでした。
また、その試みに、日本人ら参加したことは、 一般参加者から歓迎を受け、「楽しんでる?会議をどう思う?」と行く先々で質問を受けました。アメリカ支部は、どうしても、これをWIMA会員に見せたかったのでしょう。この「新しい形」のラリーは、私に、多くの感動と刺激を与えてくれました。
女性ライターの進化の最先端を見たというカルチャーショックは、今も、私の中で続いています。
日本はモータースポーツ文化では、まだまだ発展途上です。